大阪地方裁判所 平成元年(ワ)7292号 判決 1993年3月19日
原告
佐藤健
被告
加藤神嗣
主文
一 被告は、原告に対し、金六万円及びこれに対する昭和六二年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二五〇分し、その二四九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し金一四九五万五七一二円及びこれに対する昭和六二年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、普通貨物自動車を運転中、出会頭に普通乗用自動車に衝突されたものが、相手車の運転者に対して民法七〇九条に基づき損害賠償を請求した事件である。
一 争いのない事実など
1 事故の発生
次の交通事故が発生した。
(一) 日時 昭和六二年一二月九日午前六時五〇分頃
(二) 場所 豊中市千里東町二丁目四番三号先交差点
(三) 加害車 普通乗用自動車(大阪五二ほ八一六七号)
右運転者 被告
(四) 被害車 普通貨物自動車(大阪四〇や八〇六九号)
右運転者 原告
(五) 態様 原告が被害車を運転し、対面信号青色を確認して本件事故現場の交差点に進入したところ、赤信号を無視して進入してきた加害車と衝突したもので、被告には過失がある。
2 治療経過
原告は、本件事故後、症状固定の診断を受けるまでの間に、次のとおり入通院治療を受けた。
(一) 林病院
昭和六二年一二月九日通院
昭和六三年二月二七日から同年四月五日まで通院(実通院日数一八日)
同月六日から同年六月二〇日まで入院
同月二一日から同年八月六日まで通院(実通院日数五九日)
同月七日から同年一一月三日まで入院
同月四日から同月二六日まで通院(実通院日数一九日)
同月二七日から平成元年三月一二日まで入院
同月一三日から平成三年七月三日まで通院(実通院日数五三四日)し、同日症状固定と診断された。
(二) 福田小児科
昭和六三年三月一七日通院
(三) 大阪市立大学医学部附属病院
平成元年四月一七日から同年八月二八日まで通院(実通院日数四日)
同月二九日から同年一一月五日まで入院
同月六日から平成二年一二月二一日まで通院(実通院日数七日)
(四) 大阪市立城北市民病院
平成三年一月二二日から同年三月三一日まで通院(実通院日数三日)
同年四月一日から同年六月二日まで入院
同月三日から同月一八日まで通院(実通院日数二日)し、同日症状固定と診断された。
(この事実については、甲二の一及び二、甲三の一及び二、甲七ないし甲一二、乙五ないし乙一七、乙二三の三ないし六、乙二四の一ないし四、乙三三の一及び二、乙三四の一ないし四、乙三九によつて認める。なお、原告は、昭和六二年一二月一九日と他に、一・二回及び昭和六三年二月二五日ないし同月二六日の間にも林病院に通院したとも主張し、甲二の一及び二には、原告が同病院に昭和六二年一二月一九日に通院した旨の記載がある。しかしながら、同書面には(初診日である)「一二月九日以降来院せず」とする記載(甲二の一)や診療期間を昭和六二年一二月九日、一日のみとする記載(甲二の二)があることや、カルテ(甲八)には、昭和六二年一二月七日から昭和六二年二月二六日までの間の経過に関する記載がなく、他にそのような通院経過を記載した記録が提出されていないことからすると、そのような通院はむしろなかつたものと認められる。)
二 争点
1 原告の受傷の有無、程度及び相当治療期間並びに後遺障害の有無及び程度
(一) 原告
原告は、本件事故により頸部捻挫、胸部捻挫、両肩関節脱臼の傷害を負つたものである。
原告は、本件事故直後、林病院において診察を受けたが、その際左肩から胸部にかけてハンドルの圧迫痕がついており、両肩部ににぶい痛みが走り息苦しく気分の悪さを感じていたが、医師に訴えても頸部からくるものであるとして特に取上げてもらえなかつた。その後、原告は、年末年始の繁忙のため勤務を休むことができず、できなかつた調理関係の仕事から売場に回してもらい、昭和六三年二月二五日に至つた。原告は、両肩の痛みと頸の痛みが激しかつたので、同日以降、ほとんど毎日通院し、同年三月三日、造影剤撮影により脱臼の事実が確認された。そして、その後前記のとおり入通院し、また、両肩に対する手術を再三受けたが、原告の症状は、後遺障害を残して症状固定となつた。
脱臼は、何らかの外傷が加わつて起るのがほとんどであり、例外的に原因不明で抜ける場合もあるとされる。そして、例外が先天的、体質的なものを意味するならば、事故前に発症し、発見されていなければならないが、原告は、本件事故前には、大小の魚をさばき、切り身としてスーパーに陳列・販売する業務に従事していたが、脱臼したことはなかつた。一方、本件事故と脱臼との因果関係については、次のように説明できる。すなわち、原告は、本件事故により頸部捻挫の傷害を受け、同時に肩の周りにある神経が刺激され、肩の周りの軟部組織、関節の袋、靱帯に影響を与えて、そのバランスを崩し、緩んで伸びた状態となり、それが古くなつたゴムが伸びるように時間をかけて進行し、上肢を挙げると少し抜けてくる亜脱臼となり、更に脱臼へと進行したものである。通常脱臼に際しては外傷を受けて靱帯の断裂が重なつて起り、激しい痛みを伴うが、原告の場合は、関節を覆つた袋状のものは破れてはおらず、激しい痛みが伴わなかつたのはそのためである。
原告の場合は、袋状の筋肉が緩み、再三の手術を必要とするという経過をたどつており、原告の生来の身体的状況が重大な要因ではないかということは考えられるが、本件事故によつて顕在化したことは、明らかであり、加害者である被告がその損害全てを負担するのが当然である。
(二) 被告
原告の両肩の随意性脱臼は、本件事故により新たに惹起されたものでもなければ、元々原告に素因としてあつたものではあるが、本件事故により急遽健在化したりあるいは増悪されたりしたものではない。
原告は、本件事故後、昭和六二年一二月九日及び昭和六三年二月二七日の二日間、林病院において治療を受け、頸椎捻挫、胸部打撲の診断を得たが、一週間の加療が見込まれたに過ぎない軽微な怪我であつた。原告が、肩の異常を訴えたのは昭和六三年三月一四日のことであり、左肩が抜けると訴えたのは、同月二三日のことであつた。要するに事故から約二か月の間、原告の肩に関する愁訴は一切ないのであるし、原告自身も肩を打つたという訴えを病院にも警察にもしていないのであり、原告が本件事故により肩を痛めたということはありえないものである。
釜出医師は、首の症状があつて肩の周りに行つている神経が刺激されて少し肩の周りを包んでいる筋肉のバランスが悪くなつて症状が発生したと考えれば、筋がとおらないことはないとするが、そのような見解はこれまでないし、原告には神経症状はなかつたからその根拠を欠く。もつとも、同医師も、初期に痛みを訴えていない点を疑問とし、右神経刺激という考えについては必ずしもそうとは言い切れないとし、事故の三か月後に違和感とか亜脱臼が生じるものかという点については、それもずつと疑問であつて、原告には事故と関係ないんと違うかという話をずつとしてきたというもので同医師としても因果関係を全体として否定しているものであるし、林病院としても両肩の疾病についてはカルテを切り離して、健康保険治療をし、加害者側には治療費を一切請求していないのである。
本件事故と随意性脱臼との間には、因果関係はなく、右疾病は生来的なものであり、以前にも原告は経験済みでたまたま事故後三か月目に再発したか、それ以前に両肩随意性脱臼を招来するような生活歴を有するかのいずれかである。
2 損害額
第三争点に対する判断
一 原告の受傷の有無、程度、相当な治療期間
1 本件事故の状況及び原告が受けた衝撃の程度
前記争いのない事実に、証拠(甲五の三ないし六、原告)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 本件事故現場は、豊中市内の信号機により交通整理のなされている交差点(通称新千里東町二丁目交差点)内である。
(二) 被告は、加害車を時速五〇キロメートルで運転し、北側から本件交差点に至り、対面信号が赤色であるのにこれを青色であると思い込み、そのままこれを直進通過しようとした。そして、衝突地点の六・三メートル手前において、同交差点を東側から西側に直進通過中の被害車を認め急ブレーキをかけたが、自車前部を被害車の右側面に衝突させ、自車は六・〇メートル進行して停止したものの、被害車を約二〇・四メートル離れた同交差点南西角に設置されている信号柱に衝突させて反転させた。
(三) この事故により、被害車は右側部及びフエンダーが凹損し(その損傷程度は、刑事記録によれば、中破とされている。)、加害車は前部右側バンパー、フエンダーが凹損した。
(四) 原告は、昭和六二年一二月九日、豊中警察署において行われた事情聴取の際、警察官に対し、自分はシートベルトをしていた旨供述した。
2 原告の症状及び治療の経過
(一) 前記争いのない事実に、証拠(甲二の一及び二、甲三の一及び二、甲五の七、甲七ないし甲一二、乙五ないし乙一七、乙二三の三ないし六、乙二四の一ないし四、乙三三の一及び二、乙三四の一ないし四、乙三九、証人釜出、原告本人)を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 原告(昭和四二年七月二二日生、事故当時二〇歳)は、本件事故当日(一二月九日)、警察での事情聴取を終えた後、タクシーで林病院に行き、同病院で診察を受けた。その際、原告は、頸部の硬直、痛み、左胸部の圧痛を訴えたものの、上下肢の運動は正常で、項部痛はなく、呼吸も異常ない状態であつた。また、頸部、胸部、左肋骨のレントゲン検査では異常は認められない状態であつた。
そこで、医師は、原告の症状を、加療約一週間を要する頸部捻挫、胸部打撲であると診断して、消炎剤及び湿布を原告に投与した。
(2) 原告は、その後、昭和六三年二月二七日になつて、再び林病院において診察を受けた。その際、原告は、医師に対して、頸部痛が出現したと訴えたが、手の痺れはなく、頸部レントゲンでも異常は認められなかつたため、医師は、原告に投薬及び湿布を行つた。
原告は、その後、かなりの頻度で林病院において診察を受けたが、原告が、右肩の症状を訴えたのは、同年三月一四日になつてからのことであり、原告は、同月一八日には右手が少し痺れていると、同月二三日には左の肩が抜けると訴えた。
そして、同月二四日に行われた左肩のレントゲン検査では左上肢を挙上すると亜脱臼することが、同年四月一日に行われた造影剤検査で左肩が前方に抜けるという脱臼の所見があることが認められた(もつとも、関節の袋からの造影剤の流出は認められなかつた。)。
そこで、原告は、昭和六三年四月六日から同年六月二〇日まで入院の上、同年四月七日左肩について観血的脱臼整復術の、同年五月二〇日右肩について同手術の施行を受けた。しかし、その後も左右の肩について疼痛、違和感があり、同年八月七日から同年一一月三日まで入院の上、同年八月八日右肩について峰形成術の、同年九月二九日左肩について同手術の施行を受け、同年一一月一五日頃から突然左上腕の挙上が不可能になり、痺れが出現したため、同月二七日から平成元年三月一二日まで入院の上、昭和六三年一一月二八日左肩峰形成術の施行を受け、平成元年一月三〇日左肩の抜釘が、同年二月一〇日右肩の抜釘がなされた。
ところが、更に症状が出てきたため、原告は、大阪市立大学医学部付属病院を紹介され、原告は、平成元年八月二九日から同年一一月五日まで同病院整形外科に入院の上、同年九月二〇日、同病院原好延医師(なお、原告は、同医師が同大学医学部教授であると主張するが、同医師が同大学医学部「教授」でないことは当裁判所に顕著である。)による後方嚢縫合術及び骨移植術の施行を受けた。この間、原告は、並行して林病院に通院した。また、原告は、右肩随意性脱臼は事故の後より出現したということであり事故との因果関係が示唆されるとする診断書の作成を、平成元年五月二六日大阪市立大学医学部付属病院医師原好延から(乙一)、平成二年六月二七日林病院医師田中直史から(乙一四)、それぞれ受けた。
更に、原告は、平成三年四月一日から同年六月二日まで大阪市立城北市民病院に入院の上、同月五日、同医師による肩関節形成術の施行を受けた。
(3) 原告は、平成三年六月一八日、大阪市立城北市民病院で原好延医師の後遺障害診断を受けた。その後遺障害診断書には、次のとおり記載されている。
<1> 傷病名
両肩随意性脱臼
<2> 自覚症状
両肩挙上困難、両手尺骨神経領域の知覚鈍麻、両腸骨部骨採取部の知覚鈍麻
<3> 他覚症状又は検査結果
下垂位での不安定性(他動的)、左肩関節前方に圧痛、筋力は左右とも五であるが、亜脱臼になると筋力は低下する。
(4) 原告は、平成三年七月三日、林病院で田中直史医師の後遺障害診断を受けた。その後遺障害診断書には、次のとおり記載されている。なお、同医師は、同診断書に、「著者は、平成元年四月以降、外来における診察を行つているのみである。」と注記している。
<1> 傷病名
頸部捻挫後両肩随意性脱臼、術後両肩インピンジメント症候群、両腰部皮神経損傷(手術によるもので已むを得ない。)
<2> 自覚症状
特に右肩の動きが重い、日常困ることが多い、両腰の採骨後の知覚の消失した部分があり、感覚なし、左手の痺れの訴えあり(特に第四、第五)、重いものをもちにくい、仕事が満足にできない、いずれも肩由来の症状と思われる。
<3> 他覚症状又は検査結果
当院においては、昭和六三年四月より平成元年三月までにおいて、数回にわたる手術を受けている。その後大阪市立大学及び城北市民病院での加療を受けている。当院においてもその間、リハビリ加療を継続している。手術創あり。
<4> 障害内容の増悪・緩解の見通しなどについて
改善の見通しについては不祥
(5) 昭和六三年三月一八日から平成元年三月までの間、林病院において、原告を診察した釜出医師は、証人尋問において、次のとおり供述している。
脱臼は、外力が加わり、関節を包む袋が破れることによつて生じるのが一般であるが、中には特発性といつて原因不明で抜けるものもある。特発性は、確率的には非常に少ないが、報告はかなりあり、ほとんどないとはいいきれない。
脱臼にあつては、受傷時に非常に強い痛みを訴えるのが普通であり、初診時に痛みを訴えていなかつたのが疑問である。原告の脱臼について、外傷が加わつて亜脱臼を起こしたということはないことはないと思うが、直接原因であるかというかは述べられない、可能性は多少あるという程度である。外傷から三か月後に違和感とか亜脱臼が生じるというのは自分としてもずつと疑問であつて、原告には事故とは関係ないのと違うかという話をずつとしてきた。
ただ、肩関節は、その周りの軟部組織、たとえば関節の袋とか筋肉によつて覆われている部分があり、首の症状があつて肩の周りに行つている神経が刺激されて少し肩の周りを包んでいる筋肉のバランスが悪くなつて、肩の筋肉が緩んで症状が発症したと考えれば、筋がとおらないことはなく、その意味においては、本件事故後に発症したということより事故との因果関係が示唆されるという診断書も納得はできるが、ただ必ずそうであるとはいいきれない。林病院の初診時のカルテに記載されている程度の症状からそのような肩の筋肉の緩みが生じるかについては何ともいえない。示唆されるというのは、因果関係があるという趣旨か、ないという趣旨かは難しく、あるともいえないし、ないともいえない。
原告は、もともと両肩の関節について、脱臼又は亜脱臼しやすい体質であるということは多少いえる。
(二) なお、原告は、本人尋問において、事故直後に林病院で受診した際、胸の左側にハンドルによる赤いみみずばれのあとがついていたと供述するが、カルテ(甲七・二丁)上にはそのような記載はなく判然としない。
また、福田小児科医師福田恭作成の診断書(乙二)中には、傷病名として両肩打撲、治療経過及び治療の見通しとして交通事故にて両肩(特に左肩)を打撲するという記載があるが、同医師が原告を診察したのは昭和六三年三月一七日になつてから、それも一回だけのことであるし、同診断書は平成元年六月二二日になつてから作成されたものであつて、その頃原告がそのように同医師に対し説明した以上の証拠価値があるものとは認められない。
3 原告の稼働状況など
(一) 証拠(乙四、乙三〇、乙三五ないし乙三七、証人中尾、原告本人)によれば、次の事実を認めることができる。
原告は、本件事故前から、生鮮食品を扱う株式会社大八に勤務し、同社において、魚をさばく仕事に従事していた。そして、本件事故当日も、治療を受けてから昼過ぎに出勤した。原告は、本件事故後も昭和六三年二月二六日まで出勤し、給与として、昭和六三年一月二五日(同月二〇日締めのもの、以下同様。)一四万七八二〇円、同年二月二五日一三万円、同年三月一二万五〇〇〇円の支払を受けた。
(二) そして、原告は、本件事故から昭和六三年三月一七日福田小児科において診察を受けるまでの間、痛みはあつたが、一二月と一月は忙しい時期なので通院できなかつた、本当に痛くなつたのは二月で肩が異常に重くだるい感じになつた、じわじわと痛みは増し、福田小児科に行つたときは我慢ができないほど痛くなつていたと供述する。
4 原告の肩関節脱臼と本件事故との因果関係などについて
右1ないし3の事実を前提として、原告に認められる肩関節随意性脱臼と本件事故との因果関係について判断するに、脱臼にあつては、受傷時に非常に強い痛みを訴えるのが普通であるのに、原告は、本件事故直後の診察時においては、頸部の硬直、痛み、左胸部の圧痛を訴えたにとどまるし、むしろ上肢の運動は正常であつたということが認められるから、事故による外力によつて、直接に肩関節の脱臼を生じたものと考える余地はないことになる。
また、大阪市立大学医学部付属病院医師原好延及び林病院医師田中直史各作成の診断書には、肩随意性脱臼は事故の後より出現したということであり事故との因果関係が示唆されるとする旨の記載があり、釜出医師は、肩関節は、その周りの軟部組織、たとえば関節の袋とか筋肉によつて覆われている部分があり、首の症状があつて肩の周りに行つている神経が刺激されて少し肩の周りを包んでいる筋肉のバランスが悪くなつて、肩の筋肉が緩んで症状が発症したと考えれば、筋がとおらないことはなく、その意味においては、本件事故後に発症したということより事故との因果関係が示唆されるという診断書も納得はできるとしている。しかしながら、釜出医師としても、ただ必ずそうであるとはいいきれない、可能性は多少あるという程度であるとし、更には、外傷から三か月後に違和感とか亜脱臼が生じるというのは自分としてもずつと疑問であつて、原告には事故とは関係ないのと違うかという話をずつとしてきたというのであるから、そのような一般的因果関係が認められるかは相当疑問であるところ、この点については、文献などによる立証はなされていない。更に、当初は、加療約一週間を要する程度のものと診断され、業務内容は変更されたとはいえ同日出勤し、一二月と一月は多忙のため通院できなかつたとはいえ、事故後三か月近く後である昭和六三年二月二七日に至るまで再度通院せず、しかも、その時点では手の痺れや肩の痛みを訴えていなかつたという原告の頸部の症状の程度や経過から考えても、原告にそのような肩の筋肉の緩みの原因となるような刺激をもたらしうる頸部の症状があつたのかは、相当に疑問であるといわざるをえない(なお、右治療中断の期間やその間の就労状態などからして、原告が昭和六三年二月二七日以後に訴えた頸部痛と本件事故との因果関係も肯定しがたい。)。
一方、脱臼については、外力が加わることによつて生じるのが一般であるが、中には特発性といつて原因不明のものもあり、確率的には非常に少ないが、報告はかなりあり、ほとんどないとはいいきれないとされている。
このようなことを考え合せた場合、原告が本件事故により当初診断されたとおり一週間程度の通院加療を要する頸椎捻挫、胸部打撲の傷害を負つた事実を認めることができるものの、これを上回る傷害については、前記脱臼と本件事故との因果関係を含め、これを認めることができない。
二 結論
右一で認定、説示したことを前提として、原告の損害について判断する。
1 治療費(請求額七五万六一〇二円) 〇円
原告は、昭和六三年二月二九日以降の入通院による治療費として、右金額を請求する。
しかしながら、本件事故と相当因果関係が認められるのが通院加療一週間程度を要する頸椎捻挫、胸部打撲の傷害の限度であることは既に判断したとおりであつて、右入通院について、本件事故との因果関係を肯定することはできない。
2 通院交通費(三〇万四六一〇円) 〇円
原告は、昭和六三年(二月二七日)以降の通院交通費として、右金額を請求する。
しかしながら、本件事故と相当因果関係が認められるのは前記認定の限度であるから、右通院について、本件事故との因果関係を肯定することはできない。
3 入院付添費(請求額一九〇万八〇〇〇円) 〇円
原告は、入院付添費として、入院期間一日当たり四五〇〇円の割合による右金額を請求する。
しかしながら、本件事故と相当因果関係が認められるのは前記認定の限度であるから、右入院について、本件事故との因果関係を肯定することはできない。
4 入院雑費(請求額五〇万八八〇〇円) 〇円
原告は、入院雑費として入院期間一日当たり一三〇〇円の割合による右金額を請求する。
しかしながら、本件事故と相当因果関係が認められるのは前記認定の限度であるから、右入院について、本件事故との因果関係を肯定することはできない。
5 休業損害(請求額七三一万五〇〇〇円) 〇円
原告は、昭和六三年三月から平成三年六月二三日までの期間の休業損害として昭和六三年四月から平成元年三月までの間月額一三万五〇〇〇円の、同年四月から平成二年三月までの間月額一四万五〇〇〇円の、同年四月から平成三年三月までの間月額一五万五〇〇〇円の、同年四月から同年六月までの間月額一六万五〇〇〇円の、この間、賞与七回分として計一六〇万円、合計七三一万五〇〇〇円の休業損害を請求する。
しかしながら、本件事故と相当因果関係が認められるのは前記認定の限度であるから、期間における休業について、本件事故との因果関係を肯定することはできない。
6 傷害慰謝料(請求額三〇〇万円) 五万円
本件事故と相当因果関係が認められるのは前記認定の限度であることは既に判断したとおりである。
そして、右傷害による原告の精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、五万円が相当である。
7 弁護士費用(請求額一三〇万円) 一万円
本件訴訟の審理経過及び結論からすれば、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、一万円と認めるのが相当である。
三 結論
以上によれば、本訴請求は、被告に対し、金六万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六二年一二月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がないことになる。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 松井英隆)